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歴史に残るダイヤ改正

ブルートレイン:最後の「はやぶさ」東京へ 整備の誇り今も…検修員2人、万感 

 JRのダイヤ改正に伴い、13日の出発便で東京と九州を結ぶブルートレイン「はやぶさ」「富士」が半世紀にわたる歴史に幕を閉じる。「ついにこの 日が来たか」。かつて鹿児島運転所(現鹿児島運輸センター)で「はやぶさ」の車両の検修(点検修理)に携わった人たちは、万感の思いで苦労を振り返った。

 「はやぶさ」は1958年に登場し、60年にブルートレインとなった。戦前に東京-下関間を走っていた「富士」は64年に寝台列車として再デ ビューした。ともに一時期、東京-西鹿児島駅(現鹿児島中央)間を、ほぼ丸一日かけて走っていた。現在、「富士」は東京-大分間を、「はやぶさ」は東京- 熊本間を走っている。

 「国鉄(当時)に入った当時、『はやぶさ』を扱うことにずっとあこがれていた」。69年に国鉄に入った松山幸一さん(58)は、懐かしそうに話す。

 片道だけで1500キロ以上を走行した当時、客車の故障は日常茶飯事。東京まで往復して車両基地に戻ってきた編成の中から、故障車両と予備車と交換するのが仕事だった。

 「我々の仕事は裏方で地味かもしれませんが、運転士や車掌と、検修、保線など裏方の連携があって初めてブルトレが長距離をダイヤ通りに安全に走行できた」。徹夜の作業もしばしばだったが「看板列車を支えている」という誇りから、翌日の出発に間に合わせたという。

 「電源車が故障した。明朝すぐ東京に行ってくれ」。機械修理担当の花園照美さん(59)は、自宅で寝ていた深夜に連絡を受け、翌朝の一番機で空路、鹿児島から東京に向かうことも多かった。

 当時は、ディーゼル発電機を積んだ電源車を連結し、客車の照明や空調用の電力をまかなっていた。出発までに修理が間に合わず、そのまま乗り込んで 東京まで往復し、発電機が停止しないよう調整を続けたこともあった。「着の身着のままで、寝る暇もなかった。一番きつかった思い出です」

 「乗り換えなしで東京に行ける『はやぶさ』は鹿児島の人には特別な郷愁があった。熊本止まりになった時もショックだったが、まさか九州から消えてしまうとは」と松山さん。誇りを持って整備してきた列車との別れをともに惜しんでいた。【斎藤良太】

http://mainichi.jp/seibu/shakai/news/20090313ddg041040012000c.html

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